「復活された主イエス」 05.03.27
ルカ24:1〜12
今年は、教会にイースターツリーを飾りました。
クリスマスツリーとは違い、春に芽吹く細い枝に、飾り付けた卵を
吊り下げるのが一般的です。枯れてしまったように見える小さな枝が
芽吹く様子と、死を超える復活の命を重ねながら、イースターを喜ぶ
のです。
主イエスは、十字架にかかり、死んで、墓に葬られました。
女性たちがその墓に行くと、当然そこにあるはずの主イエスの遺体が
ありません。女性たちは途方にくれました。そんな女性たちに御使いが
言います。「なぜ、死者の中にさがすのか?」女性たちは、おかしな問い
だと思ったでしょう。主イエスは死なれたのですから、永遠に死に縛られ、
そこに置かれつづけるはずです。死は、いったん捕らえたものを決して
離さないはずです。だから、死んだ主イエスを、死者の中にさがすことは
当然です。彼女たちは、それほどに死の力を信じていました。
御使いは、主イエスが三日目に復活するとおっしゃっていたことを、
思い起こさせました。婦人たちはそのことを思い起こし、これまで信じて
いた死の力を疑いはじめました。「イースターの疑い」です。
死は、主イエスを縛り付けておくことができませんでした。主イエスは、
死を振り払ってしまわれました。女性たちは、死よりも主イエスの言葉の
方が確かで、信ずべきことだと気づきました。イースターによって、
何よりも信ずべきは死の力ではなく、主イエスの言葉であることが明らかに
されたのです。小さな枝は、冬に枯れたようになって終わるのでなく春に
芽吹くように、死から復活へつながる道が明らかにされました。
主イエスは、すべての人の罪を担って十字架にかかって、
罪人として死なれた方です。
その主イエスが、復活されたのです。
それは罪の赦しが起こったからです。そのようなイースターに、
人はもう一度やり直せることを知らされます。
十字架にかかられた主イエスに、自分を明け渡し、身をゆだねる
時に、罪赦されてやり直せる人生が開かれます。